集団が苦手だったんです。
集団行動も苦手なんだけど、そもそも集団が苦手。
学生時代の同級生の女子の集団
職場の同僚の集団
それ以外でも、道端のママの集団とか・・・
とにかく女子の集団が苦手。
威圧感半端ないと思ってた。
仮に自分もその中にいるときは、居心地悪くてたまらなかった。
なぜかな?
何かね。無理してたの。
合わせようとしてたんだよね。その集団の「文化」かな?「空気」かな?
小さい時からわりと、周りの友達が興味を持っているような流行りものには全然興味がないような子どもだったし、
わたしが好きなものをシェアできるような友達もいなかったし、
「ふつう」の枠からちょっとはみ出た子どもだったから、趣味の話しがあう友達もいなかったんだよね。
だからかな?
無理に話しを合わそうとすると「心の抵抗」がすごいの。
でね、疲れちゃうの。
長女だし、周りとか親の顔色気にして生きてきたから、自分の心が「違和感」を感じているのに、周りに気を使い過ぎてたんだよ。
どう思われてるのかな?なんてことも気にしてた。
そもそも、話しが合わないから、影で悪口言ってるんじゃないかな?とか。
実際気がつくと「仲間外れ」にされていることはよくあったしね。
でもね、今は全然気にならない。
最初はね。自分の心の違和感に目を向けることから始めたの。
心の声をたくさん拾ってみたの。そしてね、嫌だな、とか辛いな、とかネガティブな感情を思いっきりノートに書きつられてみたの。
何日も、何日も、これ以上出るもの何もありません。ってなるまで。
で、わたしは本当はこうしたいんだ。と思うことを選択するようにしていったのね。
自分の心に寄り添って、自分の心を大切にして、自分が望むことを優先して行動するようになったら、段々自分に自信が持てるようになってきたんだよね。
そうすると、周りがどう。とか、どう思われるか?とかどうでも良くなってきた。
だからと言ってね。排除しているわけでもないし、避けているわけでもない。
でね、気がついたんだよね。
自信がないから人のことも認められない。
自分には持ち合わせているものが何もないと思うから去勢を張って大きく見せようともしていた。
自分自身を大切にして行動するようになると、自身がついてくる。
そして自分が持っている素晴らしいものに気がつくと感謝がいっぱい生まれるようになってくる。
そうしたら、周りの人の素晴らしい所にもたくさん目がいくようになってくるんだよね。
当然比べる必要もなくなってくるし、どう思われるか?を気にすることなんて意味がないって気がつくの。
自分らしく「在る」ってことは、他の人の「らしさ」も「ありのまま」受け入れられる。ってことなんじゃないかな。
今は「集団」に出会っても、萎縮することはなくなりました。
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