人と比べることによって不幸が始まる。
と思ってます。
ついつい比較しちゃいません?
比較対象があることによって、目標とすることも出来る。
それは現在地と目的地をつなぐための指標になる。
それならいいんだけど、多くの場合、
指標とするための比較ではなく、自分にダメ出しするための比較をしている。
だってさ~
結構劣等感の塊りだったりするわけなんですよ。
そうするとね、周りと比較して「わたしはまだ○○が出来ていない」とか「○○が足りない」とか
足りないところ、ダメなトコロ、出来てないところを見つけるための比較になる。
いつから比較って始まるんだろうね?
親の育て方にもよるけど、結構周りの子と比較されて育ったという人いるよね。
きょうだいとか。
お兄ちゃんは○○なのに・・とか
お隣の○○ちゃんはこうなのに・・とか
親の比較って、決して子どもの劣等感を強くするためではないと思うんだ。
もっと良くなってほしいという気持ちが前提にあるとは思う。
でも、多くの場合これは逆効果にしかならない。
比較することによって、「自分はダメな人間なんだ」という刷り込みがどんどん強くなる。
で、頑張らないと認めてもらえない。と思っちゃう。
でも、いくら頑張っても、そもそもが「不足が前提」だから、不足はいつまでたっても埋まることがないんだよね。
比較の時の「○○はこうなのに・・」「○○はああなのに・・・」
「なのに」と言う言葉がそもそもダメ出しの言葉。
こうなのに・・・
ああなのに・・・
「なのに」をやめればいいんじゃない?
すごいと思う人がいたら「なのに」を使わずに
○○さんすごい!!
だけ。(笑)
人は人
自分は自分
一人一人役割が違うんだから、そもそも比べる必要はない。
「わたしのすごいところはどこだろう??」って
自分のすんごいところを見つけようとする。
意識して探していると、結構見つかるもんです。
そうしているとだんだん自信もついてくる。
「自信」は他人と比較するためのものではなく、自分という存在自体を認めるため。
そうしているうちに「劣等感」の塊もだんだんほぐれていく。
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