嫌な感情とセットで記憶されている出来事の解釈を変えてみる

記憶は事実とは異なる
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真実はいつもひとつ!!!


解説するまでもないけど、永遠の小学1年生コナン君のキラーフレーズです。


「真実」という表現よりも「事実」という表現の方がしっくりくるので「事実」を使うね。

「事実」はひとつかもしれないけど、「解釈」は、ひとつじゃないよね。

と最近しみじみそんなことを感じています。


脳が記憶していることって必ずしも「事実」とは限らない。

「出来事」って「感情」とセットで記憶していることが多い。

起きた出来事にプラスして感情をくっつけているから、その時に「嫌」な感情をくっつけていれば「嫌な出来事」としての記憶になる。

でも事実は本当は違うかもしれないな~と思うのです。


子どもの時のエピソードなんだけど

運動会の中のひとつの種目の中で、「逆上がり」をしなければいけないものがあって、逆上がりめっちゃ練習したけど、結局出来るようにならなかった。

今でもできません。(笑)

出来ないから、競技途中で先生に話しかけ、逆上がりのところをパスして次に進んだんです。

そのことをずっと母親に言われ続けてきたんです。

未だに言われるの。

「鉄棒やらないで先生と話しているから何かと思ったら!!」みたいな感じで。

この出来事、私の中でものすごく嫌な感情とくっついて記憶されてます。


私の中の記憶には「逆上がりができない」「父兄が見守る中でも出来ないことを先生に伝えた」「運動は苦手」「すごく嫌な気分だった」「それをねちねちバカにされる」という何とも言えない感情とセットで運動会の記憶になってたんです。

未だに鮮明に思いだす、すご~くいやな記憶。


だけど最近、ほんとうにそうかな??と思うんです。

大勢の父兄が見守る中、ちゃんとその競技に向き合ったわたしすごい!

そして大勢の父兄が見守る中、先生に「出来ない」ことを伝えたわたしすごい!!(笑)

さらに、母のバカにしているような心ないと思ってた言葉も「なんだか可愛いやつだな~」という微笑ましい目で見た言葉なのかもしれない??

と解釈することもできるよね~。

なんて思ったんです。


運動会で逆上がりができなかった。これは紛れもない事実

だけど、それとセットになっている「嫌」な感情とともにある「記憶」は事実じゃないかもしれないな。


現実って解釈次第なんだな~


母がどんな気持ちで、未だにそのことを言うのかは確かめたことはありません。

そのことを持ち出して言われるたびに、私の中の嫌な記憶がよみがえって、とてもいい気分にはなれなかったから。

でも次に機会があったら「言われ続けてすごく嫌な気分だった」と伝えようと思います。

嫌な記憶に触れたくなくて、いつも言われっぱなしだったけど、今こそ向き合って終わらせるときだな~と思ってます。


記憶は必ずしも事実ではない

と現時点で既に、理解できて自分の中で解消出来てはいるんです。

ただ、その時点に「心」を置いてきぼりのまま今に至ってるからちゃんと回収してあげなきゃね。


感情を抜き出して、書き換えることで「記憶」に対する反応は変えることが出来る。

解釈は自分自身で作っているから、そんなことも出来るんです。


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