現実は自分が作っている。
と聞いて、以前は「こんな現実望んでいないよ」「そんなことあるわけない」と思っていました。
「鏡の法則」とは
「私たちの人生の現実は、わたしたちの心を映し出す鏡である。」
という法則を書いた本で、現実に起きることは、自分の内面(心の中)にあることが原因になっている。
この考え方が、子育てに悩む主婦を主人公として書かれている本が「鏡の法則」です。
読んだ人の「9割が泣いた」という触れ込み通り、もれなく9割の中の一人になって号泣しました。
が、最近、「本当の意味」で理解できていなかったかも?と感じています。
現実は全て自分が作っている。と実感できる出来事がすんごく多くて、改めて「鏡の法則」ってめちゃくちゃ深い。と感じています。
頻繁に起きるシンクロニシティ
自分が求めている「答え」や、「ヒント」になるようなモノゴトが、たまたま開いたSNSから目に飛び込んできたり、タイミングよく友達が話した言葉の中にあったり。
「それ探してた」「こんなこと考えていた」とか、方向性に迷っていた時にも導いてくれるような答えが、かなりの速度でやってくるんです。
いわゆる「シンクロニシティ」というやつ。
「シンクロ」が頻繁に起きる中で気がついたのが「現実は全て自分の内面を映し出す鏡」という考え方のほんとうの意味するところ
他人の言動や行動は、すべて自分の内面を映し出す鏡
だから「他人」だと思っている自分以外の誰かも、ほんとうは「他人」ではなく「自分の一部」なんだ。と感じています。
求めていることを教えてくれる「鏡」として存在している自分の一部が、現実として映し出されているだけ。
「不快」な現実を変えようとしても意味はない。
日々生きていると「嫌だな。」と思うことや「この人何なんだろう?」と思うことなど、必ずしも自分にとって「快」とは言えないこともおきます。
自分以外の誰かのせいで「不快」に感じたり、違和感を感じるということはよくあることです。
この「不快」と感じる現実も自分自身の内面を映し出している「鏡」なんだ。ってここ数日すんごく腑に落ちています。
「何なんだろう?この人」の「何なんだ?」の部分が自分自身が持っている一面。
その一面が「他人」という現実を通して「鏡」のように映し出されている。
「すんごく嫌な上司」だと思っていた、その「嫌」な部分は自分自身が持っている一面で、現実世界にその人物が現れて、鏡のように見せてくれていた。
そんなことに気がつきました。
「自分が変わると現実が変わる」
実際、自分自身が変わってきた中で、周りに「うわ~。嫌なやつ」と思う人がどんどん減ってきていると感じています。
「0」ではないのは、まだ自分の中にある「その側面」を現実を通して見せてくれている。
そんなことに気がつくと「すべての現実」がありがたいことにしか感じなくなっています。
自分で作っているんだから、文句なんて出てこなくなるし、感謝がどんどん増えていきます。
「鏡」である「現実」、現実を変えようと躍起になっても意味はない。
今の現実が「嫌」だと思うなら、自分の内面を変えていくことでしか「現実」は変わらない。
現実を映し出している「フィルム」を変えないことには、映像として動いている「現実」は変わることがない。
日々自分の内面をモニタリングする。
シンクロは誰にでも起きていると思うんです。ただ、気がついているかいないかの違いなんじゃないかと感じています。
自分の内面に意識を向けていると、気がつける。
けど、ほとんどの人は意識を外の世界に向けていて、自分が何を望んでいて、何を考えているのかに意識を向けていない方が多いんじゃないかと思う。
シンクロに気がつけるようになっていくためにも、このブログで何度も紹介している書籍「シンクロちゃん」はお勧めです。
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