「再生」のための「破壊」と「闇」と「赦し」

クルエラ
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「魔法使いのひとりごと」というチャンネルでラジオ配信しています。

この記事は2021/6/24に配信した内容を書き起こしたものです。

音声はこちら


主観と好き勝手解釈による、時代の変化とディズニー映画

先日「クルエラ」という映画を観てきました。

観終わった直後に「もう一回観たい!クルエラにまた会いたい!!」と思うくらい素敵な映画でした。

クルエラって「101匹わんちゃん」の悪役なんですが、 ディズニー映画の中でも1~2を争うヴィランズ。

101匹わんちゃんのアニメは子ども達が小さいときには何度か見ましたが、私自身何度も繰り返し観たくなるほど好きな映画でもなく、さらに、数あるディズニー映画の中で私の中のヴィランズ1位はシンデレラの継母でした。

そもそもディズニー映画も自分が好きで観ていたわけでもないのですが・・

古きが壊されていく瞬間

で、今回の「クルエラ」

時代背景や設定や音楽も、とにかくカッコよくて、映画の始まりから終わりまでずっとワクワク。

ストーリーとしては、一人の少女エステラがクルエラ・デ・ビルになるまでの背景や感情にフォーカスしている映画。

クルエラという人物がものすごく魅力的に描かれていて、とにかく「カッコいい」の一言に尽きる。

アニメの「101匹ワンちゃん」では、意地の悪さが全身に溢れまくっている「クルエラ」ですが、今回の映画では、そこに至る経緯や背景がえがかれている。

「その感情わかる。」「そりゃそうなるよね。」と共感が生まれ、「そうか、こんな一面自分にもあるよね。」と自分自身に反映して観てました。

「痛み」や「悲しみ」「孤独感」「理不尽さ」、そこから生まれる「復讐心」を前提にした「自分自身の変容」など、誰にでもある負の側面に共鳴する。

「エステラ」を脱ぎ捨て「クルエラ」に天翔する。

「地」から「風」に移り変わった「今」は、これまで「当たり前」だと思っていた既存のルールや仕組みに多くの人が疑問を持ち始めて、崩れ始めているとき。

世界が生まれ変わる前の混沌の時 。

まさに破壊と再生

この映画の中に「古きが壊れ生まれ変わろう」としているのを感じて、まさに「今」とリンクしている、と思いました。

「正義と悪」からの変容

かつてのディズニー映画って、特に20世紀中の作品の多くが、主人公が困難を乗り超えて成長するみたいなストーリーがド定番。

その中に悪役といわれる存在、邪魔する人物が必ず登場する。

分かりやすい「正義と悪」みたいな構図のものが多かった印象なんですね。

それが時代の流れとともに、その構図が変化していると感じています。

「アナと雪の女王」がまさにその代表格なんじゃないかと。( わたし全く興味持てなくて未だに見たことないんですが・・ m(__)m)

「アナ雪」って曲に象徴されるように「ありのまま」の自分を解き放とうみたいな映画ですよね。多分、、、観てないけど 。

多くの人が生き方や考え方を見直し始めて、今までの常識は本当かな?と疑問を持ち始めたのが2011年ごろから。

その流れから、自分自身の在り方として「本当の自分」というキーワードと繋がる「ありのまま」という言葉。

それまでの「一般常識」という概念の中で、見ないようにしていた本来の自分を開放するというキーワードの「ありのまま」が多くの人に刺さったんだなと思ってるんです。

「マレフィセント」 も悪役に至る背景や感情にフォーカスしている映画で、悪の部分だけではなく「陰陽両極」に気づかれてくれる映画でした。

悪はダメで正義が正しいみたいな概念って本当かな?「悪」の側面は誰の内にもあるんじゃないかなという気づきのきっかけになる映画

ただ、当時はそんなこと考えずにただエンタメとして楽しんでみてましたが・・

「アリスインワンダーランド2」でも、ハートの女王がいじわるになった経緯が描かれてる。

誰にもある「負」の側面への赦し

で今、2021年。「クルエラ」

普通の女性なんです。

女王でも、魔女でもなく、氷を扱う能力もない普通の人間。

その普通の女性が、クルエラ・デ・ビルになる背景、感情にスポットライトが当たっている。

クルエラのダークサイドをスクリーンを通じて観ることで、自分の中のダークサイドにもスポットがあたり、クルエラという人物を通して自分だけじゃなくすべての人にある闇に気が付く。

世の中の「悪」と言われているモノや人も、自分となんら変わりがなく、誰もがもっているひとつの側面を反映しているだけ。

はびこっている「悪」「闇」と思われる人たちの中にも陰陽両極ある。

だからこそジャッジするのではなく、気づかせてくれたことに感謝して、赦すことが今必要なんじゃないかなと思ったんです。

結局他人をジャッジして赦せないのは、自分自身を赦せてないんだろうな。と思いました。

クルエラを通じて、既存のルールや固定概念が壊れ生まれ変わろうしている今の時代。

そして破壊と再生。クルエラを通して垣間見る「闇」と自分自身への赦し。

今日はこんなテーマでお話してみました。

今日はこの辺で、では。また~

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