「傷つきやすい」の正体は〇〇の不足だった。

傷つくのは見返りを求めているから
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結構傷つきやすい人でした。

なんていったって「人」の気を受けやすいし。

周りの目を気にして生きていたし、

繊細だって思ってた。


モノを創る人間なんで「繊細」さは必要だし~。とも思ってた。(笑)

割とすぐ色んなことで傷つきやすい「繊細さ」というか「もろさ」があった。


あったんですよ・・・


今はもうそんなに傷つかなくなってきている。

図太さを手に入れました。(笑)


と、いうか「傷つきすい」「繊細」と言えば聞こえがいいけど

その裏にあるものって、自己肯定感のなさ、無価値観だった。


無価値観があると、その「ない」ところを埋めようとする。

自分には「ない」(と思ってる)ところだから、外から得ようとする。

他人からの褒められたり、認められたり、

親切や愛であったり


誰かに貢献することで得られる【見返り】ってやつです。

「やってあげた。だからお礼の言葉が欲しい」

「わたしの価値を提供した。だから褒めて欲しい」「認めてほしい」

という具合。


「無価値観」が前提の行動は、「ない」を「埋める」ためだから、見返りがないと傷ついちゃんだな~。

時には怒りになる。


「え~、違うじゃん」「こんなにやってあげたのに・・」「こんなに頑張ったのに

になってしまう。

そして傷つく。


「ない」前提を埋めるために、人に与える。

「こんなに尽くしているんだから、愛してほしい」

「あなたのことが大好きだから、あなたも私を好きになってほしい」みたいな・・

見返りを求めている時点で、それはそもそも「愛」じゃない。

自分の不足感を埋めようとしているだけ。


自己肯定感めちゃくちゃ低かったわたしは、常に

「認められたい」「褒められたい」「愛されたい」「大事にされたい」

と外側から得ようとしていた。

だから、その「埋めるもの」が得られないと傷ついていた。


仮に一時的に埋まっても、外から得たものはかなりの速さでなくなっていく。

だから常に、常に求め続ける。


この「無価値観」を埋めるのは、自分自身をひとつひとつ認めていくことでしか埋まらない。

自分で埋めていくことでしか本当の意味では埋まらないの。

それをやらない限り、永遠に外からの賞賛やご褒美や愛を求め続けることになってしまうんだ。


自己肯定感を上げていく最初の一歩は、自分へのダメ出しをやめること。

と、言ってもすぐダメ出ししてしまうのは脳のクセなので、そう簡単にはクセは直らない。


今日からすぐできる簡単な方法。

寝る前に、その日一日で起こった嬉しかったことを3つ考えてから眠りにつく。

嬉しかったこと。楽しかったこと。頑張ったこと。

起きた直後も良きです。

まだまどろんでいる時間に、良いことを考える習慣。

良いことにだんだんフォーカスできるようになります。


まだまだ奥底にある「無価値観」気づいたら手放し中です。


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