「魔法使いのひとりごと」というチャンネルでラジオ配信しています。
この記事は2021/3/14に配信した内容を書き起こしたものです。
音声はこちら
一期一会
先週1週間コンテンツを没頭して作ってました。
作業をしだすと、完成するまでかなりもめりこんでしまう習性があるんですよ。
気づくと目の疲れがひどいことになってしまい、なので昨日は急遽 強制的にデジタル断ちできる空間、炭酸のお風呂と岩盤浴に行ってきました。
で、そこであった出来事なんですが 、60代くらいのある女性がわたしのすぐ近くで電話で話しをしていたんです。
聞き耳たててたわけじゃないですよ。
ほんの3m位しか離れてなくて、しかも小声ではなく普通にお話していたので、全部耳に入っちゃうんですよね。
で、たぶん推測だけど電話の向こうの相手は愚痴を聞いてほしくて電話をかけてきた感じ。
多分お嫁さんのこととかで、意にそぐわないとか、何か気に入らないとか、なんだかのストレスからの愚痴かな~と推測できる感じ。
で、こちら側の、わたしから3m位離れた場所にいる女性が、電話の向こうの方に話していたことば。
その「言葉」にめちゃくちゃ共感して 思わず「うんうん」と大きくうなずいちゃったんですよ。わたし 。
で、パッとその女性を見ると目があって、思わず「だよね~」みたいな感じで目で会話してました。
言葉には「在り方」が現れる
その女性が話していたこととは、
「いや~そうじゃないよ。ありがたいことだよ。どんなことも感謝だよ~」
って言っていたんです。
「ほんとうにその通り 」だと共感しました。
起こる現実は同じでも「こんなもん」とか「こんなことして」とか不服の側面ばかりを見つけるのか
または「ありがたい」と思える側面に気が付けるのか
この意識の向け先ひとつで、その次におこる現実も不服を引き起こすものにもなるし、ありがたいと思える現実にもなるし。
起こる現実は同じでも、不満や不服の側面に意識を向け続けていると、次におこる現実も同じく不服を引き起こす。
ずっと、いつまでたっても
それを「あるもの」に意識を向けるようになると、最初はわからなくても段々「感謝できることで」溢れる現実に変わってくる。
「当たり前」なんてひとつもない
「ありがとう」って漢字で書くと「有ることが難い」って書きますよね。
自分を取り巻く環境や所有しているモノやこともすべて「在る」ことが「当たり前」ではななく「難いこと」「難しいこと」だと思うと、今この瞬間が「当たり前ではないと気が付ける。
でも感謝することってそもそも教わってきていないし、筋トレみたいなもので意識して鍛えないとなかなか身に付かない。
でも、それが「在り方」になったときに人生が動き出すな~って思います。
さらに自己肯定感の質と感謝の質は比例しているなとも思います。
この話をすると長くなりそうなので、これはまた別の機会にしますね。
今日は「感謝」についておはなししました。
今日も、やんわりとデジタル断ち継続中です。
今日はこの辺で、では、また~
3月15日(月)午後9時から「アンソニーロビンズ社公認シニアリーダー直伝プロコーチがコーチングの魅力を語る」というルームでスピーカーとしてお話します。
お耳が空いていたらぜひ聴きにきてください。
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