コンプレックスは晒すと「個性」という魅力に変わる

コンプレックスを魅力に変える
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「魔法使いのひとりごと」というチャンネルでラジオ配信しています。

この記事は2021/2/5に配信した内容を書き起こしたものです。

音声はこちら


何回かお話しているんですが、私自身「話す」ことに苦手意識を持ってました。

その理由のひとつが、自分の声が好きではないんですね。

耳鼻系が弱くて、鼻声で、活舌も良くなくて、舌足らずな話し方だし、ほんとうにコンプレックスのひとつだったんです。

だからこそ、声を使って配信することは、私の中で選択肢は「0」だったし、抵抗感しかなかった。

ところがです。 めちゃくちゃ意外な反応が多いんです。

まずラジオを聴いてくださった方から、「いい声」とか「落ち着いた語り口調」とか「心地いい音」などという想定外すぎる反応があまりにも多くて、戸惑ってます。

中には「ナレーションのお仕事でもされてたんですか?」とか「ナレーションもいけちゃうね」なんて言われたり・・

また、コーチングの練習を仲間内ですることがあるんですが、その時のフィードバックも「声が落ち着いていて、リラックスできる」とか「声で気持ちよくてイメージしやすい」とか。

真っ先にいただくフィードバックがほぼほぼ「声」や「話し方」なんですよね。

内容のことよりも・・・(笑)

コンプレックスとは

複数の方から同じようなことを仰っていただけると、自分が思ってるコンプレックスって実は、他人から見たら魅力と感じるモノなのかも。と思えてきたんです。

これは、決してわたしの声のことだけを言っているのではありません。

よく「この人素敵だな」「こんなところうらやましいな」と思って、そのことを相手の方に伝えると、意外にも本人はまさにその部分にコンプレックスを感じているということ意外と多いなと以前から思っていたんです。

例えば背が高くてすらっとした人が、そこに(背が高いことに)コンプレックスを持っている。とかね。

自分が思っている自分、他人から見える自分

自分で思っている自分と、他人の目に映る自分には大きな隔たりがあって、自分のコンプレックスだと思っている部分をあえて晒してみると、案外そこが魅力に思ってもらえるのかもしれないな~と。

この大きな隔たりこそが、自分のことが一番自分ではわからない。ということなんだろうな。と・・

目は外に向かってついているから、鏡をみない限り自分のことは見ることができない。

だから他人がいるんだな。

と 、あまりにも意外過ぎるフィードバックの数々を通してそんな気づきがありました。

何かをやろうとしたときに意識する他人の視線

そこに気が付けたのは、自分にとっては苦手意識があった音声配信(しゃべる)ということをやってみたからなんです。

音声配信に限らず、何か発信してみることでそこから得るフィードバックはとても大きいと感じています。

何か発信しようと思ったときにやってくる 「こんなこと言ったらどう思われるだろうか?」とか「こんなこと言ったら嫌われるんじゃないか?」とか、何かを始めるときって、自分の内側からいろんなものがどぼどぼ出てくると思うんです。

でもそこを超えてやってみると、案外なんともなくて、いい方の想定外の反応があるのも事実

「こんなことやってることを人に知られたら嫌だな」なんて思っていたとしても、逆に興味を持ってもらえることもあります。

もし仮に身近な人が距離を置き始めたとしても、その瞬間は寂しかったり悲しい想いもすると思うけど、その先にもっと自分が望む未来にふさわしい人たちとの出会いが待っていたりするんですよね 。

もし距離を置き始めた人が真の友達であるならば、先に進もうとしているあなたに後からでも追いつこうとしてくれると思うんです。

そうでないならば、周りの反応に左右されるのではなく、「自分がどう在りたいのか」を自問して、自分の人生の操縦かんは他人には握らせない。操縦席には自分以外は置かないと決める。

それが自分軸ということなんじゃないかなと思います。

本日はこの辺で(^^)/ では、また~(^^)/ “

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