現実にくっつける解釈次第で、出来事は180度違ったものになる。

自分の声に100%従う
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断ったら悪いかな。

こんなこと言ったら傷つけるかな?


いつもそんな風に相手に気を使って、自分の本心からかけ離れた行動をしていないだろうか?

気が進まないお誘いに対して、

前回も断ったし、その日は空いてるし、また断ったら二度と誘ってもらえないかもしれない。とか。


はたまた

グループラインなどで、自分の意見を言いたいけど「これ言ったらなんて思われるかな」と躊躇していつも言いたいことが言えない・・とか。


相手がどう解釈するのかは、相手の世界のこと。

いくら気をつかったところで、相手がどう受け取るのかまでは、コントロールできる範囲ではない。


どんな発言をしようと、

どんなに気を使おうと、

どんな風に受け取るのかは、あくまでも相手の中で起きていること。

相手の中で起きていることに、介入することはできない。


「こんなこと言ったら傷つけるかな?」といくら思ったところで

「傷つく」という選択をするかどうかは相手が決めること。

な~んとも思ってないかもしれない。


同級生と想い出話しをしているのに、まったく違う出来事について話しているような感覚になったことってない?

同じ空間・同じ場所で同じ経験をしているはずなのに、それぞれの記憶が全然違うものになっている。

記憶はただのフィルム。

そのフィルムを収納するときにどんな解釈をくっつけているのかは、人によって違う。

だからいくら同じ想い出を共有していても、人によって記憶されているモノゴトが違うものになる。


今目の前で起きている現実にしても全部そうかもしれない。

体験はすべてわたしたちの心の中で起きていることであって、事実とは異なることってよくある。

出来事にどんな感情をくっつけて記憶しているのかによって出来事の意味合いは変わってくる。


「マトリックス」の世界みたいに。

わたしたちの周りで起きていることも、本当はすべて「マトリックス」の世界のように仮想現実なのかもしれないな。って思った。


気を使ってとった行動に対しても、もしかしたら相手の中では「負」の感情をくっつけているかもしれない。

相手の世界の中で起きていることまで、介入することはどうしたってできないんだから放っておいていいんです。

自分自身にだけ100%責任をもてばいいと本当にそう思う


日常起きることはほんとうは全て仮想現実かもしれないし。

エージェントスミスだって傷ついたフリしてるだけでほんとうは痛手なんて受けてないかもしれない。


飲み会断ったって、誘った当人も「一緒に行く人いたら行くけど、いなければ断る口実できる。だから断ってくれた方が嬉しいな」なんて実は思ってるのかもしれない。

ただの人数合わせで誘ってるだけかもしれない。

相手の事情なんて知ったこっちゃないでしょ。

それよりも自分の心を偽って、気が向かないのに他人にばかり気を使うの、もうやめよ。

他人の感情は他人のもの。

一番大事にしたいのは、自分自身の内側で起きてることに。

自分の心の声に寄り添わないで、ほかにだれがあなたを大切にしてくれる?

自分で自分を粗末に扱っているのなら、他人から大事にされるわけがない。


今日は何だかすんごく抽象的になってしまった。

でもこのブログを読んでどう感じるのかは、わたしがコントロールできることではない。(笑)

今日も今感じていることをそのまま綴ってみたなり。


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