ここ最近の「副業ブーム」
ブームなのかな?
今の職場環境が嫌だから、こんなライフスタイルから抜け出したいから、今のままだと将来心配だから、あと少しでも収入があると自由になれるから。
理由はそれぞれあるだろうけどね、なんかね、いろんなこと安易に捉えすぎてる人多いな~と思うのですよ。
そしてなんだか「自分さえよければ」的なものをすんごく感じる。というか読みとれる。
先日「スマホでポチポチだけで!!に飛びつく前に知っておきたいこと」という記事でも書いたけど、
「コピペだけで」っていうメッセージが多い。
「コピペ」だけのメッセージって「コピペ」ってわかるよ。その「コピペだけで」というそのメッセージこそが「コピペ」だし、その「コピペ」のメッセージもらって心は動かないぞ。
(今週ずっとこんな感じ。敵作りそう。(笑))
決して否定しているわけではないんだけどね。やりたいことならやればいい。
自分では何もしないで評論家ぶって遠巻きに眺めているだけよりも、行動するからこそ学ぶことはたくさんあるし。
なんてことをすんごくたくさん思ってる最中、昨夜遅くから執り行われた「大嘗祭」
この科学の時代に、この先進国の日本で、ものすんごく科学的ではない祭事が執り行われている。
ってことが興味深いし象徴的に感じたのです。
なんてことを思いながら見つけたある記事「かぐや姫の物語」( 高畑勲監督 )の解説がまたまた興味深かった。
この映画観てないし、あんまり観たいと思った事もないんだけど、解説を読んでたら深いな~と、興味を持ちました。
とっても素敵な記事はこちら「かぐや姫に5人の皇子たちがフられた本当の理由。かぐや姫はロマンチストなテレパシストだった…」です。
「階級、肩書、レッテル、ネーム、プライド、お金・・・なにそれ・・・!?なんなの・・・・?」(記事から引用)
誰もが知ってる「かぐや姫」の物語って、意味深いな~と改めて気づかせてもらいました。
昔話とか、お伽話や言い伝えって、結構深い意味があるもの多いですね。
肩書きとかお金とかでマウント取ろうとしている人の象徴が「かぐや姫」に求婚する皇子たち
と思うとが、なんだかどれだけ時代が変わっても、相変わらず一定数いるそのような人たちは、システムにうま~く染まってしまっているのかな。なんて・・・
そして、そのポジションに向かおうとして「自分さえよければ」的な思考の人がやっぱりいろんなところに一定数いるな~
玉砕する皇子たちが拝金利己モンスターの象徴。に見えてならない。
欲にまみれて利己主義な現代人たちへのアンチテーゼのように感じて興味もりもり。
などという妄想をしつつ、2019年 令和元年
今なぜこの時代に、この日本という国を選んで生まれてきたのか。
なんてね、根源的なことに想いを馳せたりしているわけですよ。
「大嘗祭」についても、税金がどうとか?目くじら立てる前に、その背景や歴史や意味などについて調べてみると、どれだけわたしたちは表面的なことに支配されてきたんだろうか?と疑問がわんさか出てくる。
いろんなもののブロックや制限を外して、
目先の自分の利益だけを追求することなく、
自分の在り方を見つめ直したいな。と改めて感じたのでした。
シンボルティックなキーワードを用いたけど、あんまり深いこと書くと「とんでも話し」になっちゃんでやめときま~す。(笑)
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