「赦す」ことで、赦されるのは自分自身かもしれない

赦し
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ラジオでお話した内容を文章化しています。音声はこちら「魔法使いのひとりごと」


「赦す」ことって本当に難しいと思ってます。

この現実世界は自分の思考が造りだしている。とか

内面の反映だということが言われていたりしますよね。

「思考は現実化する」や「鏡の法則」という書籍を読んだ方もいらっしゃると思います。

最初に、これらの書籍を読んだ時には、人ごと、というかあまりピンとこなくて「ふ~ん。そんなこともあるかもね~」という感想でした。

その後、 コーチングやNLPなどの学びや様々な経験を通じて「確かにそうだな~」と思うことが増えていきました。


思考が現実を造りだしているということも 鏡の法則も、根の部分は同じかなと思っています。

このテーマは深いので、今回はこのテーマではなく「赦すこと」について書いています。


自分の周りで起きていることが、自分自身の内面の反映 だと思うと、受け入れがたいことが多いと感じる。

見たくない現実だったり、自分が望まない現実なら、なおさらだ。

そもそも望んでいないことなのに現実化するわけないし、内面の反映なわけないよね。と思ってしまうのが自然なんじゃないかな。

今世界中で起きていること、この先がどんな展開になるのかは未知数だけど、たまたま観た動画の中で言っていたことが「真理」なんじゃないかと思った。


「赦す」ことって本当に難しいことだと感じている。

頭ではわかっていても、心がなかなか「赦す」ことを認めないことも多々ある。

そんな自分に気が付いた時に「まだまだだな~」と思うことも多い。

観た動画の中で「受け入れがたいものや、許しがたいものであっても、許すことが大切」と言っていた。

それこそ「わかっているけど・・」の部分だ。

赦しがたいことモノゴトって、自分の内面の反映と捉えるにしては、大きすぎる場合がある。

自分の身の回りて起こってることだけではなく、もっも社会的なことだったり、憤りを感じたり、理不尽さを感じるはあると思う。

動画を観て「分かっているけど・・」と感じたあとに続いたメッセージが腑に落ちてものすごく納得した。

赦し難い人は、その役割を担って、この地上に生まれてきた魂だ。


役割りを担っている。

映画にはヒール(悪役)がいなければ物語にコントラストは生まれない。

人生にも、ヒール(赦し難い人)がいるからこそ、気づきや成長という体験に繋がる。

自分の中の価値観や人生観を振り返るきっかけにもなる。

この地球上で生きていく人生に、光と影のコントラストを見せてくれるモノこそが赦し難いモノゴトなのかもしれない。と思った。

自分から見た時の、光と影の「影」の部分という役割りを担ってくれる存在たち。

そう思うと「そうか!今まで出会ってくれた赦し難い人や、あり得ないと感じた人も、わたしの魂の成長のために必要な【役割り】を担ってくれたのか」と大きな気づきが生まれ、ありがたいと感じたのだ。

その役割を担ってくれた存在のおかげで「体験」ができているのだ。


赦し難いことを「何が何でも赦してなるものか!!」とギュッと握りしめているのって、結局いつまでもそのモノゴトに執着していることになる。

それに自分の中の「正義」を振りかざして戦っている状態なので、そこにはいつまでたっても「真の平和」は生まれない。

光と影の、あえて「影」の部分という役割りを担ってくれていると気が付けると、すぐには感謝に至らないにせよ、握った手を緩めることはできる。

結局、いつまでも「赦せない」という想いに縛られているのは自分自身

赦せていないのは「自分自身」なのかもしれない。

そんなことに気が付かせてくれた動画だったのです。


ラジオ配信はじめました。「魔法使いのひとりごと」この文章の音声はこちらです。

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